霜月---手向けの花

「……病死に、とおっしゃいますの……?」
「左様。なにぶん、今度のことは表沙汰にはできぬことなれば、不本意は重々承知ながら、炎龍は病死ということにいたします。遺体もないことではありますし、葬儀のほうも我らで」
「そんな……待ってください大僧正様、そんな風にして片付けてしまうなんて……それでは叔父のしたことは? 身を捨てて大僧正様をお守りしたのは報いるに値しないことだというんですか?」
「そうは申してはおりませぬぞ。ただ、炎龍がなにゆえ死ぬることになったか、それを表沙汰には出来ぬということです。我らとしても、わし個人としてもあの者の成したことには相応の礼でもって送ってやりたいとは思うておりまする。じゃが……姪御殿も『照らされざる者』ならおわかりであろう。影に生き、影に死ぬしかない者があるということを」
「…………」
「……それでは、いってくる」
「行ってらっしゃい、お父様」
「うむ」
軽くうなずいたお父様は、ばあやが差しだす鞄を受け取るときびすを返しました。背筋をのばした、でも心なしか肩を落としたような後ろ姿を見送りながら、ばあやがため息をひとつつきました。
「それにしても、美智雄様はお身体は人一倍丈夫でいらしたのに……まさかご病気だなんてねえ……」
「…………」
私は答えず、遠ざかっていくお父様の背中を見つめていました。
美智雄叔父さんが病死したという電報が高野山から届いたのは、おとといのことでした。
お葬式はお山で済ませたとのことで、位牌と遺品をいただきにいくお父様に私もついて行きたかったんですが、高野山は女人禁制、どうせ入れないなら家で待っているも同じと言われてあきらめたのでした。
「この間隼人様が亡くなられたばかりだというのに、なんでこう続くんでしょうねえ。旦那様もお気の毒に……」
鼻をぐずぐず言わせながら、ばあやは家の中へと戻っていきました。私も後に続いて家に入ろうとし、そこでふと足を止めて振り返りました。
……風が、慟哭の声に聞こえました。
美智雄叔父さんが病死などではなかったことを、私は知っています。
お父様もばあやもあずかり知らぬことですが、深川での死霊騒ぎ……私が巻き込まれたあの事件の中に、実は叔父さんもいたのでした。日本を守護する役目を負いながら、最近それをないがしろにしつつある『聖域の長老』たち。彼ら(?)の真意をただすためにはるばる高野山からやってきた清心大僧正様に、叔父さんは護衛として従っていたのです。
そして美智雄叔父さんは、その役目を果たして死にました。話によれば、『聖域』で“長老”が大僧正様に向けて襲いかかった時、それを代わりに受けたのだそうです。守るべきものを守ったその死は本望であったろう、と、私に話をしてくれた人は言いました。
「……こんにちはー」
「まあ、弥生様、どうぞお上がりくださいまし。ゆき乃お嬢様はおいでですよ」
「政信叔父様は?」
「あいにくもう出られてしまいまいして」
弥生ちゃんの声に、私は繕い物を片付けました。部屋に入ってきた弥生ちゃんは、私の顔を見るとほっとしたように頬をゆるめました。
「良かった、元気そうで」
「なんで?」
「打ちひしがれちゃってるんじゃないかと心配してたのよ。ゆき乃は美智雄叔父様のこと大好きだったでしょ」
前に座りながら言う弥生ちゃんに、私は首をふりました。
「なんだか本当だっていう気がしなくて……なにしろ急だったし、死に顔も見てないし……」
「風邪をこじらせたんですって?」
「……そうじゃないかって話。本当にあっという間で、病名すら分からなかったそうよ」
「あんなにお丈夫そうに見えたのに」
ばあやと同じようなことを弥生ちゃんは言い、もっとも、1,2度しかお会いしたことはなかったけど、と付け足しました。
「実は私、小さい頃、美智雄叔父様が怖くて怖くて……みっつくらいの時だったかしら、叔父様があやそうとするのを嫌がって大泣きしたことがあったの。それから叔父様は私が苦手だったみたいで」
「……初めて聞いたわ、それ」
「あんまり言えるようなことじゃないもの」
弥生ちゃんは苦笑いをしました。
「後で叔父様がお坊さんになった理由を聞いて、悪かったなあと思っていたのだけど……」
結局、お話する機会もないままになってしまったわねぇと弥生ちゃんはつぶやき、ちょっと淋しそうに眼をひざに落としました。
……香奈との戦いで気絶してしまった私が叔父さんの死を知ったのは、深川へ戻ってからのことでした。
「炎龍の姪御殿だそうですな」
眼を覚ました私に、直々にお見舞いに見えた大僧正様が言いました。
「宇津井香奈と戦われたとか。女子ながらその戦いぶり、さすがはあの者の縁者だけのことはあると他の者たちが申しておりました……」
淡々としたその言葉の中には、どこかつらそうな響きがありました。私はそれをいぶかしく思い、理由を聞こうと口を開きかけました。
そして、大僧正様の眼を見た瞬間、悟ったのでした。
美智雄叔父さんは死んだのだ、と……。
「……それはそうと、弥生ちゃんのほうはもう落ちついた?」
私が尋ねると、弥生ちゃんはこくりとうなずいて小さな笑みを見せました。
「四十九日が済んだら兄さんの持ち物を整理し始めようと思うの。実を言うと、私もまだ兄さんが死んだなんて信じられないんだけど……お葬式も終わったことだし」
「そうね……」
立派だった隼人さんのお葬式を思い出しながら、私はばあやの持ってきたお茶に口をつけました。そしてふと、叔父さんのお葬式はどうだったのかしらと思いました。
炎を操り、様々な敵と戦う裏高野のつわものだった叔父さんも、表向きにはお山にお勤めする一介のお坊さんでしかないはずです。きっと、小さな小さなお葬式だったことでしょう。
誰もがすぐに忘れてしまうような。
「えっ?」
つい声に出してしまったらしく、弥生ちゃんが怪訝な顔をしました。私はあわててなんでもないのと首をふり、不意に浮かんだ涙をそっと隠しました。
……3日後、位牌と遺品を持ったお父様が帰ってきました。
叔父さんが遺していったのは、ほんのわずかなものでした。私たち家族からの手紙、覚え書きを書きつけた何冊かの帳面、いくばくかの身の回りの品……つらつらとそれらを眺めていた私は、その中にどんぐりで作った独楽を見つけて不思議に思いました。
「きっと近所の子供からもらったのだろうと大僧正様がおっしゃっていたよ」
私が尋ねると、お父様は少し笑って答えました。
「そういえば、墓へ行ったら野の花が供えてあってな。子供たちが持ってきたとの話だった……どうも時々、美智雄が遊んでやっていたらしい」
「……まあ」
拙い作りのその独楽を見ながら、子供の頃、家へ来るたびに遊んでくれた叔父さんのことを私は思い出しました。そして、同じように叔父さんと遊んでいた顔も名前も知らない子供たちのことを考えました。
……たとえその死に誉はなくとも、こうして慕われ花を手向けられる……。
それは不思議と、叔父さんにふさわしいように思えました。
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