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CREGUEAN#4 "Lost Planets" Private Reaction1
宴の夜に思うもの
ふわりと香水の香りをさせながら、ひとりの貴婦人が視界を通り過ぎる。軽やかなドレス姿を少しうらやましく思いながら、シウリエン・ネイスミスは
オルラント海軍常備軍大尉
の礼装の襟元を少しゆるめた。
「大丈夫か、シウ」
歩み寄ってきた兄のヘクターが、ジュースのグラスを渡す。一口飲むと彼女は息をつき、昨日短く切ったばかりの銀髪をかきあげた。
「ありがと、お兄様」
「全く、いい年をしてあんまりはしゃぐから悪酔いするんだぞ」
ヘクターの口調は厳しいが、眼には先程の爆笑の余韻がまだ漂っている。シウリエンはおどけて首をすくめると、再びジュースに口をつけた。
近地球圏遠征艦隊
の出発を明日に控えたこの夜、
皇帝の宮殿
ではそれを祝った宴がひらかれている。成人した
高位の貴族
の一員として、また、遠征艦隊の中核をになう士官のひとりとして、シウリエンも兄や両親と共に出席していた。しかしそこで持ち前の開放的な性格を(口にした酒の勢いも手伝って)全開にした彼女は、同じ年頃の友人たちと盛り上がった挙げ句、男友達のひとりと
両方が男性パートのダンスを踊るという暴挙に出たのである
。そして、素面の人間には見当もつかないやりかたでその珍妙なダンスを大成功させたあと、急に酔いが回ってテラスへ退散となった次第であった。
「まあ、いまさらおとなしくしてろと言っても手遅れだからしょうがないが……頼むから、遠征艦隊に行ったらああいうことは人目のないところでやってくれ」
「でもお兄様」
兄の言葉に、シウリエンは小首をかしげた。
「人目のないところでひとりでバカをやってたらただの不気味な奴だと思うんですけど」
「……とにかく」
せき払いをしてヘクターは続けた。
「艦隊には色々な者がいるんだ。あんまり妙なことをして目立つんじゃない。世の中、目立つのがいいことでは必ずしもないんだからな」
明るくはっきりした性格のシウリエンは、軍では階級の上下を問わず人気があるが、それでもそんな彼女を快く思わないものはいるだろう。軍隊は貴族社会にくらべてはるかに枠が狭いから、そんな輩に眼をつけられたら相当辛い思いをすることになる。日常のいじめはともかく、もしかすると戦闘中の致命的な瞬間に妨害を入れられるかもしれない。ヘクターにしてみれば、この妹がそんなふうにして軍を、あるいは人生をやめることになるのだけは見たくなかった。
「わかってます」
だが、そんな兄の心配に気付いているのかいないのか、シウリエンは明快に応じた。そうしてふと彼の肩越しに彼方へ眼をやり、急にそわそわした表情になる。
「それじゃあ私、もう少しみんなと話をしてくるわ。帰る時には呼んでね、お兄様」
「おいシウ……」
ヘクターは面食らっていやにそそくさと去っていく妹を見送ったが、疑問はすぐに解けた。後ろから不意に声をかけられたのである。
「まったく、シウリエンはいつも逃げ足の速いこと」
「これは……エリザベータ伯母様」
……伯母といっても祖母くらいの年令のエリザベータは、おざなりにヘクターの礼を受けるとシウリエンの去った方向をじろりと見やった。
「あの子は軍隊なんかにはいってからますます行儀が悪くなったようね。さっきの騒ぎは何事ですか。貴族の女性たるものが恥ずかしい」
「よく言っておきます」
妹の素早さを心からうらやましく思いながら、ヘクターは応じる。エリザベータの気難しさ、口やかましさは一族でも並ぶものがない。つかまったらもうあとは集中砲火を黙って受けるだけである。今回は対象が自分でないだけまだましだが。
「そもそもあの子は昔から妙なことばかりしでかす子でしたからね。そろそろ結婚でもさせて落ち着かせたほうがいいですよ。全く、いつだったか街のパン屋で働いているのを見たときにはぞっとしました」
「はあ」
またその話か、と彼は思った。シウリエンの「行儀の悪さ」を指摘する時に常にエリザベータが持ち出してくる事件である。
数年前、学生だったシウリエンが働いてみたいと駄々をこね、身分を隠してパン屋でアルバイトをしたことがあった。なかなか皆の受けもよく、本人も気に入っていたのだが、たまたま店頭販売に出ているときにこの伯母が
馬車
で通りかかったのである。ショックのあまり
失神
しかけながらもエリザベータはその場で店を辞めさせて、引きずるようにしてシウリエンを連れ帰ってきてしまった。
しかし、エリザベータをさらに激昂させたのはその後の彼女の言葉である。なぜあのような堕落した真似をするのかとつめよる伯母に対して、シウリエンは真っ向から言いかえしたのだ。私たち貴族の生活を支えるのは平民たちである。その彼らを知ろうとするのを堕落だという伯母様こそ、よっぽど堕落している。
「……キャリアウーマンだかなんだか知りませんけれど、平民などと一緒に働いたりするからああいうふうになるんです。今度、適当な家柄の男性を選んで話を進めておきましょう。帰って来たらすぐにでも式をあげられるようにね」
「伯母様、それはちょっと……」
さすがのヘクターもこれにはひるんだ。いくらなんでも唐突である。
「シウはこれから軍人として帝国のために働くんですし……もう少し待ってやってはいただけませんか?」
「待っていたりしたら、ああいう子はいつまでたっても結婚できませんよ。こういうことはね、最初は強引に見えても後で絶対よかったと思うものなのです。わたくしがそうでしたからね」
「………」
返す言葉もなくなって、ヘクターは妹のほうを見やった。知らぬが仏のシウリエンはグラスを片手に遠くの方で楽しそうに談笑している。と、上官だろうか、ひとりの将官が通り過ぎ、彼女はあわてて敬礼をした。だがそのはずみにグラスをひっくりかえし、ひと騒ぎ持ち上がる。かたわらのエリザベータが眉をひそめたので、また何か言われるかとヘクターはひやりとした。だが彼女は何も言わず、軽く挨拶だけを残すと彼のそばを去っていく。
……今の話を知ったらシウはまた激怒するだろうなあと、伯母の後ろ姿を見ながらヘクターは思った。しかしエリザベータには逆らえない。あとはせめてシウリエンが、伯母が話をまとめる前に帰ってくるのを祈るばかりである。
「……やれやれ」
何とも情けない思いで、彼は礼服の襟をゆるめた。
用語解説
・
オルラント海軍常備軍大尉
……海軍とは宇宙軍のこと。エリートの近衛、ノーマルの常備、徴募軍の後備の3軍があり、制服の色もそれぞれ白、青、赤で区別されている。
・
近地球圏遠征艦隊
……人類発祥の地地球を探索するために派遣される艦隊。近衛1、常備2の計3個艦隊が参加する鳴り物入りの計画だったが、お隣の新興国家NWFと戦争が始まってしまったために途中で中止された。
・
皇帝の宮殿
……オルラントは旧帝政ロシアを模した国家である。雰囲気としては銀英伝の銀河帝国が健全になったものといった感じ。
・
高位の貴族
……一応、伯爵令嬢という設定である。
・
両方が男性パートの〜
……仮にも皇帝臨席の宴でこういう芸をするとは、まさに暴挙以外のなにものでもない。
・
馬車
……一般的なのはもちろん車や地下鉄や航空機だが、この国の貴族には「手間暇かかるものを使っているほど偉い」というステータスがある。つまりこの伯母は、「自分は馬車のような維持の手間も値段も大変なものを日常気軽に使うことができる」というのを誇示しているのである。
・
失神
……これまた貴族の女性のステータス。
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