闇の紋章 プライベートリアクション

川住
─かわずみ─




「……ふーん、じゃあそいつからあなたは青龍様の噂を聞いたのね?」
 システム手帳にメモを書きつけながら、瓜生織香は確認した。ぬらりとしたひげのある妖――多分ナマズの変化だろうと織香は思っている――はのっそりとうなずく。
「そうじゃ。我は奴からしかと聞いたぞ。青龍様が後継を探しているとのぅ」
「成程ね。で、この河童がどこにいるか、あなた知らない?」
「知るわけがなかろう。おおかたまたどこぞで子供の尻小玉でも狙っているのだろうよ」
「……あっそう」
 今時、尻小玉を抜かれるような子供なんているのかしら、と思いながら、織香は手帳を閉じた。ありがとうとひとつ頭を下げ、立ち上がろうとする。と、妖がぎょろりと小さな眼をむいた。
「待て」
「え?」
「人から聞くだけ聞いておいて、礼もなしか? 近頃の若い者はまっこと礼儀を知らぬな」
 ……織香は内心でため息をついた。どうも日本の妖はこの手のタイプが多くて困る。ギブアンドテイクで最初から情報料を要求するならともかく、なにもいらないような顔をしているくせに話が終わってからいきなり“礼”をよこせと言い出すのだ。まあ、妖にビジネスの常識を説明しても無駄だろうが……。
「なにがご所望なの?」
 ある種あきらめの境地になって織香は言った。そんな彼女の気分も知らず、妖は短い指で織香の顔のサングラスを指さす。
「その黒い眼鏡が欲しい。昼間もまぶしくない眼鏡だろうが、それは」
 妖のくせに良く知ってるじゃないの……と思いながら、彼女は黙ってサングラスをはずし、妖に渡した。ナマズの妖はしばし悪戦苦闘した挙げ句、ようやくサングラスを顔にひっかけ、歓声をあげる。
「おお、おお、まぶしくないぞ。これは良い物をもらった。礼を言うぞ」
「どういたしまして」
 なんとなく可愛らしくなった妖のサングラス姿に、笑いをこらえながら織香は再び立ち上がろうとした。とりあえず喜んでいるようだし、これ以上いてまたなにか吹っかけられても困る。ここははやいとこ無難に退散したかった。
 が、後ろを向こうとしたところで「まあ待て」と再び引き止められる。
「もそっといても良いだろう?」
 サングラスをかけたまま、上機嫌で妖は言った。
「我は河住という。ぬしはこの界隈では見かけぬ顔だが、なんという名だ?」
 一瞬、織香は逡巡した。が、妖のほうから先に名乗ったということは、こちらの名を使って悪さをするということもないだろうと思い至る。
「若宮一門の瓜生織香。瓜生が姓、名は織香」
「なに、瓜生だと?」
 ……急に河住が背をのばしたので、織香は驚いた。
「瓜生というとよもや、ぬしは瓜生厳月の縁者ではあるまいな」
「それは祖父よ。知ってるの?」
「おお、知っておるぞ」
 織香がやや不安になったことに、ナマズの妖は苦々しくひげを震わせた。
「きゃつにはひどい目にあわされたことがあるのだ。前に子供をふたりほど喰らったらその親が言いつけおってな。二度と人は喰らわぬと誓ってようやく放免してもらった。おかげでそれからずっと、魚や蛙や鼠ばかりを食って暮らしておるよ」
「それは……」
 ここはあやまっちゃったほうがいいのかしら、と織香は思った。が、とりあえずは河住は怒ってはいないらしい。昔の恨みは忘れたのか、サングラスのプレゼントが効いているのか。
「しかしそれにしても、瓜生の縁者とここで会うとはのぅ。確かに言われてみればかすかにきゃつのにおいもするようじゃが……良くもまあ、あの瓜生が妖を身内にしたものよ」
 ぴく、と織香の表情がこわばった。
「……どういう意味?」
 ついつい声が尖ったのに、河住は気付かないようだった。相変わらずサングラスを顔にひっかけたまま、ひくひくと鼻を広げて彼女のまわりをかぎまわる。
「うまいこと変化しておるが、ぬし、ヒトではないのだろう? 瓜生は知っておるのか? まあ、隠していてもきゃつほどの力があれば気付こうな。どうやって瓜生の家に入ったのだ? ヒトと偽って嫁にでもいったのか?」
「そろそろ口をつつしんだらどう、河住」
 我慢できなくなり、ぴしりと織香は河住に言い放った。河住には恐らく悪気はないのだろうが、どうにも遠慮がなさすぎる。しかもそれは、彼女としてはいちばん触れてほしくない話題だった。
「あたしはれっきとした瓜生の一族よ。先祖に妖がいて、その血が出たって聞いてるわ……あまり瓜生家の者を侮辱しないほうがいいと思うけど」
「…………」
 子をふたり喰らったというナマズの変化も、織香のこの言葉には少々たじろいだようだった。なにやら口の中でもごもごと言い、すべるように後ろに下がって川の中へぽちゃんと消える。ひろがった水紋を織香はしばらくにらみつけていたが、やがて眼をそらすとため息をついた。
 一体なにしてんのかしら、あたし……。
 10年間をアメリカで過ごし、ネイティブなみの英語力を持ち、名門ライス大学で優等を取ったこともある……そんな自分が隅田川で、ナマズに図星つかれて怒ってるなんて。
「しかもやってることといえば“ドラゴンクエスト”だし。あーあ、いっそ誰かあたしを勇者として称えてくれないかしら。それなら少しはやりがいもあるのに」
 短くメロディを口笛で吹いて、織香は立ち上がった。一旦閉じたシステム手帳をまた開き、河住から聞いたことに眼を走らせる。
 さしあたっては、称えてもらうより先にやることがありそうだった。




 構想30分、製作1時間の超小作(笑)。なんだかマスターに対するアピールが物足りないような気がして、〆切日の午前1時に書き飛ばしました。『青龍を探す』というミッションに「出生の秘密」をからめた話です。

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